2010年2月アーカイブ

立川談笑さん にぎわい座

横浜に引っ越してもうすぐ1年。
月例に通わなくなって1年。
「遠い」と談笑さん。
そうなんですよ。
行きたくても行けないのです。
国立演芸場よりも日本橋亭のほうがまだ行きやすいか。

笑った笑った。

意思の疎通なんて、そもそも不可能という認識を背負っての日常。
絶望的に捉えて、どうにかしたいと苦しんでいるくせに、
笑いに笑いました。

『いいじゃんそれで。』
↑コレ、目指したいですねぇ。
今日の一瞬の魔法を日常に宿したい。

上大岡まで歩いて帰りました。
魔法の効果か?


…とmixi日記に書いたら談笑さんがコメントくれました。
ピンポイントで核心をついてきたので紹介します。


ご来場ありがとうございます。

タフになりましょうよ。
傷つけられることにも、傷つけることにも。
落語の話で恐縮ですが、高座からは繊細にお客様の顔色を伺う一方で、時には強引にこちらを押し付けています。
いつも、お客様一人残らずが完全に満足!なんて無い。きっと誰かをとても傷つけたに違いない。と思っています。
日々不安ですが、その不安が解消される日は来ません。
でも不安じゃ前に進めない。
ですから私は無理やりに決着をつけています。
「自分とその周囲の人の幸せや快適さのために、誰かを傷つけることは怖がらない!」
こんな腹の括り方をしています。
やましいことがないのであれば、自分を信じて、自信を持って堂々と気楽にいきましょう!
大丈夫ですって!!!

すみません。何かお悩みのようだったので、余計なことを長々綴りました。
まるで検討違いの御託だったらごめんなさい!


!!!そうなんだ。
『そうだね』という言葉が好きなのは、傷つけることを恐れているんだ。

意思の疎通なんてすべて誤解で成立してる。
不快か不快でないかの差で、腑に落ちているだけのこと。

おっしゃられること....
思考ストップなんて早い方がいいんだ、ということだろうか。
「自分とその周囲の人」の線引きに自信がないといけないな。
自信....縁遠い言葉だ。

物差しは自分の過去で生成される。
知ってることなんてたかがしれてて、知ってる範囲内でしか思考できなくて。
思考の範囲内で決断して行動して、行動による再認識で思考して…。

そうやって真面目に考えると、物差しに自信を持てる根拠が見つからない。

自信なんて、そもそもやけくそで生成するものなんだ。
思考ストップだ。
それでいいんだと言い切れるかどうかが勝負だ。
腹を括って、大丈夫!と。

でも、やっぱり「そうだね」に憧れます。
いつかの年の瀬、お江戸日本橋亭でのあの言葉。
『一緒に夢にしちゃおうよ』
あまり好きでない人情話で泣いたのはあれが初めてでした。

コメントありがとうございました。

Antony and the Ohnos -魂の糧-

Antony and the Ohnos -魂の糧-

二日目に行ってきた。

言葉化するにはあまりに困難な公演だった。
それだけ完璧な表現だったということだ。
伝える、伝わる、という意味で。

僕の日常はいつもこうだ。
言葉に執着して言葉に頼り切っているのに
その一方で言葉を常に疑い信用しない。
言葉なんて何も伝わらないと限界に感じ、それでも言葉と格闘する。

そんな人間に、格闘と愛情をどうだと表現してみせた。

大野慶人の舞踏
大野一雄の『O氏の死者の書』
そしてアントニーの声

はじめから最後まで、ずっと目に涙を溜めて浴びた。
こうありたいと思った。
できれば皆もこうであったらいいのにと。

あぁ、やっぱりこんな陳腐な言葉に変換したくない。
まだまだ余韻に触れていたいよ。


....その一方で、ちょうど一週間前の僕は....
Devendra Banhartの愛あるピエロを見て
「あぁ、もうこれでいいや」なんて
自己格闘を放棄する感情も湧いていたり。
なんだかねぇ。

惜しむらくは、両公演とも当日券がでたそうだ。
好評故の強引な席確保ならよいが
売れ行き不振ならもったいなさすぎる。
僕と同じ凡人どもよ。
ったく、お前ら何やってんだ?

最後は大好きな曲、Hope there's someoneでダダ泣き。
アントニーは花束からちぎった赤い花びらを大野慶人に投げる。
美しかった。
終演後にお客がステージに上がってその花びらを持ち帰っていた。
僕も欲しかったな。

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