横浜に引っ越してもうすぐ1年。
月例に通わなくなって1年。
「遠い」と談笑さん。
そうなんですよ。
行きたくても行けないのです。
国立演芸場よりも日本橋亭のほうがまだ行きやすいか。
笑った笑った。
意思の疎通なんて、そもそも不可能という認識を背負っての日常。
絶望的に捉えて、どうにかしたいと苦しんでいるくせに、
笑いに笑いました。
『いいじゃんそれで。』
↑コレ、目指したいですねぇ。
今日の一瞬の魔法を日常に宿したい。
上大岡まで歩いて帰りました。
魔法の効果か?
…とmixi日記に書いたら談笑さんがコメントくれました。
ピンポイントで核心をついてきたので紹介します。
ご来場ありがとうございます。タフになりましょうよ。
傷つけられることにも、傷つけることにも。
落語の話で恐縮ですが、高座からは繊細にお客様の顔色を伺う一方で、時には強引にこちらを押し付けています。
いつも、お客様一人残らずが完全に満足!なんて無い。きっと誰かをとても傷つけたに違いない。と思っています。
日々不安ですが、その不安が解消される日は来ません。
でも不安じゃ前に進めない。
ですから私は無理やりに決着をつけています。
「自分とその周囲の人の幸せや快適さのために、誰かを傷つけることは怖がらない!」
こんな腹の括り方をしています。
やましいことがないのであれば、自分を信じて、自信を持って堂々と気楽にいきましょう!
大丈夫ですって!!!すみません。何かお悩みのようだったので、余計なことを長々綴りました。
まるで検討違いの御託だったらごめんなさい!
!!!そうなんだ。
『そうだね』という言葉が好きなのは、傷つけることを恐れているんだ。
意思の疎通なんてすべて誤解で成立してる。
不快か不快でないかの差で、腑に落ちているだけのこと。
おっしゃられること....
思考ストップなんて早い方がいいんだ、ということだろうか。
「自分とその周囲の人」の線引きに自信がないといけないな。
自信....縁遠い言葉だ。
物差しは自分の過去で生成される。
知ってることなんてたかがしれてて、知ってる範囲内でしか思考できなくて。
思考の範囲内で決断して行動して、行動による再認識で思考して…。
そうやって真面目に考えると、物差しに自信を持てる根拠が見つからない。
自信なんて、そもそもやけくそで生成するものなんだ。
思考ストップだ。
それでいいんだと言い切れるかどうかが勝負だ。
腹を括って、大丈夫!と。
でも、やっぱり「そうだね」に憧れます。
いつかの年の瀬、お江戸日本橋亭でのあの言葉。
『一緒に夢にしちゃおうよ』
あまり好きでない人情話で泣いたのはあれが初めてでした。
コメントありがとうございました。
